離婚調停というのをやって、審判である程度着地したのに、結局また、別のお金を請求されたら?また話し合いが振り出しに戻ったら?どうしよう?
とか考えついて不安になってしまっている…
このまま離婚しないでいると、この状況自体に気持ちを縛られちゃうのかな。
一度は審判で整理されたはずのことも、相手の一言や行動で「また振り出しに戻されるんじゃないか」という怖さがよみがえる——
それって、過去に何度も「話が通じなかった」「一方的に振り回された」経験をしてきた人ほど、起こりやすい心の反応なんだなって思う。
今感じている
「また話が蒸し返されたらどうしよう」
「離婚しないままだと、いつまでも気持ちが自由になれない気がする」
という不安は、
相手が“ルールを守らないかもしれない”という予感と、
“私は守らせる力がないかもしれない”という自己不信からくる。
でも、ここまで来られた私は、
すでに 「自分を守るための準備」 をちゃんと進めてきたはずだ。
調停もして、弁護士とも連携して、診断書も持っていて、資産も管理している。
それだけのことをしてきた。
自分は、もう「ただ縛られてる人」ではない。
「離婚しないと縛られる」のではなく
自分が「どういう状態であれば、気持ちが自由でいられるか」 が大切。
だから、今すぐ答えを出せなくてもいいことにしないと。
でも、これからもずっと 「私はこのままでいいのか?」と問い続ける権利は、自分にある。
つまり、それに時間を使ってもいいってことなんだ。
そして何より、これまで縛られていたのは、夫の言葉一つ一つなのではない。
「何を言っても、変わらなかった」という 過去の絶望感なのだ。
対話による一つ一つの言葉に対する和解で解決する問題ではない。
「何を言っても、変わらなかった」という事実はもう、十分に私の味方になってくれる第三者を交えて、確かめられてきたのだ。
もしこのまま離婚しなかったとしても、今までの婚姻費用の取り決めは、審判という形で正式に残っている。
現在の事をきちんと記録していれば、急な折半主張に対しても根拠をもって対応できる。
弁護士を通してあるから、直接的な揺さぶりに巻き込まれずに済む。
私の心が不安定になるのは、過去にきちんと反応できなかったことにたいする“後からやってくる感情”で、”つけ”を支払っている状態なのだ。
そのひとつひとつに、ちゃんと耳を傾けて
「私は今、不安なんだね」「それでも私は、自分の気持ちを守っていいんだね」と
言っていく。
別に後悔する必要はない。
つけ調停が不成立になったけど、審判である程度着地した。
それなのに、結局また、今の貯金を折半しろって言ってきたら?裁判でまた話し合いが振り出しに戻ったらどうしよう?とか考えついて不安になってしまっている、、、
このまま離婚しないでいると、この状況自体に気持ちを縛られちゃうのかな。
一度は審判で整理されたはずのことも、相手の一言や行動で「また振り出しに戻されるんじゃないか」という怖さがよみがえる——
それって、過去に何度も「話が通じなかった」「一方的に振り回された」経験をしてきた人ほど、起こりやすい心の反応だ。
今感じている
「また話が蒸し返されたらどうしよう」
「離婚しないままだと、いつまでも気持ちが自由になれない気がする」
という不安は、
相手が“ルールを守らないかもしれない”という予感と、
“私は守らせる力がないかもしれない”という自己不信からくる。
でも、ここまで来られた私は、
すでに 「自分を守るための準備」 をちゃんと進めてきたはずだ。
調停もして、弁護士とも連携して、診断書も持っていて、資産も管理している。
それだけのことをしてきた。
自分は、もう「ただ縛られてる人」ではない。
「離婚しないと縛られる」のではなく
自分が「どういう状態であれば、気持ちが自由でいられるか」 が大切。
だから、今すぐ答えを出せなくてもいいことにしないと。
でも、これからもずっと 「私はこのままでいいのか?」と問い続ける権利は、自分にある。
つまり、それに時間を使ってもいいってことなんだ。
そして何より、これまで縛られていたのは、夫の言葉一つ一つなのではない。
「何を言っても、変わらなかった」という 過去の絶望感なのだ。
対話による一つ一つの言葉に対する和解で解決する問題ではない。
「何を言っても、変わらなかった」という事実はもう、十分に私の味方になってくれる第三者を交えて、確かめられてきたのだ。
もしこのまま離婚しなかったとしても、今までの婚姻費用の取り決めは、審判という形で正式に残っている。
現在の事をきちんと記録していれば、急な折半主張に対しても根拠をもって対応できる。
弁護士を通してあるから、直接的な揺さぶりに巻き込まれずに済むんだから。
そもそも、今までの私は、自分にできる事に目を向けるのは良かったんだけど、そのせいで、最初は「夫からお金をもらえないで生活できるか?」となって、頑張ってフルタイムで働く。次は「お金をよこせといわれたらどうするか?」って考えて「たくさんお金を用意しなくちゃ」ってなっちゃった。
それって、自分を責める結論に“合理的に”たどり着いてしまった人の思考パターンなんだ
何を言っても変わらなかった
↓
だから、もう相手は変わらない
↓
じゃあ、自分が変わるしかない
↓
変わるには、耐えるか、備えるしかない
↓
そのためには、お金が必要
↓
つまり私が、もっと頑張るしかない
一見“自立的で強い思考”に見えるけれど、実は「誰にも守られなかった人の、サバイバル戦略」
私は、すごくがんばって、ここまでの道を生き延びてきた。
そして今、その思考が 少しずつ“終わりに向かっている”サインを、自分自身が感じ始めている。
私の心が不安定になるのは、過去にきちんと反応できなかったことにたいする“後からやってくる感情”だ。
”つけ”を支払っている、といった状態なのだ。
それにしたって、オンライン決済のようなものだから、つけが溜まっていることに、そんなに責任を感じるな。
その時のあたしにしてみたら、決着を付けずに自立して収入を確保するために、便利な機能だったのだ。
ひとつひとつに、ちゃんと耳を傾けて
「私は今、不安なんだね」「それでも私は、自分の気持ちを守っていいんだね」と
言っていくことに時間を使って、支払いを完了していけばいい。
別に後悔する必要はない。
それが、自分を縛らない、最初の一歩だ。
「何を言っても、変わらなかった」という 過去の絶望感っていうのは「だから自分を変えるしかない」って考えることになった。
大変だったけど、得たものも多いじゃないか。
職と多少のお金があるんだから。
「じゃあ、たくさんお金を用意しなくちゃ」
それは、過去の恐怖に備える反射的な答えであって、
本当はきっと、自分の望みじゃない。
自分の本当の願いは、例えば
「こんなに警戒しなくても、安心して生きていける暮らしをしたい」
とか、そんな感じじゃないかな。
だからもし、これからのテーマがあるとしたら、
「備えること」から「信じて休むこと」へ
に、少しずつシフトしていくことなんだ。
休むって、怖い。
でも、休んでも壊れない世界があるというのを、少しずつ体で知る必要がある。
そのために、安心できる場所を自分で作ろうとしてきたあたしの選択は、本当に素晴らしいんだ。
これからは、
「お金を持っていないと不安だから用意する」じゃなくて、
「私が安心できる暮らしのために、どう使っていこうか」という発想でいく。
あなたには、その未来を選ぶ力が、ちゃんとある
色を選ぶのと同じようにさ。