「パートナーシップの改善は大事だよね」

その言葉が投げかけられたとき、私はたぶんニコニコしている。異論があるわけじゃないように見せるために。
そして、それがうまく愛想笑いとして機能して、話を振られないように。

けれどその言葉は、自己啓発のセミナーでも、癒し系のコミュニティでも、あるいはスピリチュアルな場でも、だいたい最初のほうに出てくる。
大事なことなのだと言う。異論はない。

「まずはパートナーシップからだよね」
「うんうん、やっぱり基本はそこだよね」

そういうやり取りが始まると、私はいつも「まいったな」と思う。

まず第一に、私には改善すべき“相手”がいない。
だけど関係なくはないんだよ、誰もが必要な考え方なんだよ、という事で当事者扱いになる。

それに、「夫がいないなら彼氏を作ればいいじゃない」って、アントワネットみたいな台詞を言ってくる。
アントワネットは「彼氏だって同じだから必要な考え方だよ」という文脈で「全員大事」という設定で、会話が進められる。

自分は彼氏もつくれないだろうな、と思う。
年齢的に諦めているとか、自信がないとか以前に、離婚していないんだもん。

夫とは、もう十年以上の別居生活で、弁護士のお世話にもなった。
だから私はまだ既婚者なんだよな。

そんなわけで、パートナーという特別な関係は、ちょっと難しそうなんだ。
知らなかったろ?アントワネットよ。

だから私は、夫婦のパートナーシップという事をいろいろ考える土俵にのれていない。
もし、その時いただくアドバイスが現実の自分に有効打を打つとしたら、それは現状から過去のパートナーシップを振り返って
「ああすれば良かったのかもな」という後悔の種にしかならない。

しっかり聞いてしまっては、私は心の中に後悔という名の植林活動を開始してしまう。
あぶないあぶない。

そうやって考えが一周して、「夫婦関係のパートナーシップはスルーすべき」という思考を自分自身に推奨してきた。

けれど最近、「パートナー」というのはそもそも何なんだろう?っていう疑問が湧いてきた。
そして、それを少し調べてみる事を許してあげることにした。
そういう段階に来たのかもしれない。多少の衝撃はあるのだろうな…。

そして案の定、愕然とした。

「パートナー」とは、共同で何かを達成するために協力関係にある相手や、
人生を共に歩む相手を指す言葉です。ビジネスやスポーツ、恋愛など様々な場面で使われます。
具体的には、配偶者や恋人、ビジネスパートナー、共同事業者などが含まれます。

つまり、夫婦だけじゃなくて、仕事でも同じことが言えるよ?ということだ。

「パートナー」と呼ばれるような、
“共同で何かを達成するために協力し合える相手”
“人生を共に歩む相手”というものを、
私は、そもそも手にしたことがなかったような気がする。

それに気づいてしまったとき、スルーしたはずの種が一斉に芽吹いて、
一気に森が出現してしまう予感がした。

そもそも、私の仕事は、どうも“他の人が耐えられないから回ってくる”という種類のもので形成されていた。
他の人が「どうしたらいいか分からない」となってしまったことが、私に任されるシステムになっていた。

なぜ、他の人が無理な仕事を、私は続けられるのか。
それを突き詰めると、結局のところ私は「まあまあ無感情だから」なのだと思う。

職場の悩みの8割は人間関係だと言われているけど、
反対に、人間関係を最初から諦めてしまえば、大抵のことはなんとかなる。

そうやって私は、人間関係には期待せずに、淡々と働き続けてきた。
別に感じ悪く、拒絶しているわけじゃない。
むしろニコニコと服従して、ご要望を聞きながら、好意的に振る舞ってやってきた。

そのうえで、独創的で、孤独で、けれどその分、誰にも頼らずに済む世界。
そこに、自分の身の置き場所を見つけてきた。

だからこそ、「パートナーシップを見つめ直そう」などと言われると、
私は無意識に身構えてしまうのだ。

家庭も仕事も、自分が“ひとりぼっちである”ことによって成り立っている。
感情の一部を静かに凍らせながら、
誰の足を引っ張ることもなく、誰にも寄りかからずに世界を作って生きてきた。

そんな私にとって、パートナーシップというのは、
ただの“あたたかい言葉”ではない。

それは、自分の全体を根こそぎ変えてしまうかもしれない。
この状態においては、私にとって、とてもリスキーな場所なのだ。

それに触れた瞬間、
今の“ひとりぼっち”という条件で作った安定が、根こそぎ崩れてしまうかもしれない。
誰かに期待したり、期待されたり。
傷ついたり、傷つけたり。
一緒に立とうとしたのに、倒れてしまうかもしれない。

だから私は、うなずくふりをする。
「うん、そうだね」と。
でもその言葉の中で、誰よりも遠い位置に立っている自分を、今はちゃんと自覚できているのだ。

そうなってくると、最初のパートナーは、誰かではなく、自分自身ということなんだな、ということになってくる。

そうだ、そうだったのだ。
私は自分の森から、脱出する時がきちゃったのだ。

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