朝、空気が湿っていたから「うんざり!」って感じられていたのだと思う。
台所で、弁当の準備をする手が重たい。けれど、動くしかない。
「お弁当いる」――息子の一言で、そうせざるを得なかったんだ。
熱を帯びたような身体は多分軽い熱中症だと思う。
今日は病院まで要介護の母を送らなきゃという予定。
そして、突如現れた弁当作り。
現実がテトリスのように脳内でぶつかり合って、収まりきらないまま時間だけが過ぎていく。
車に母を乗せ、なんとか医大に滑り込む。
いつもなら、母を玄関で降ろしたあと、混雑で有名な駐車場を避けて遠くに停め、
小走りで脳神経外科へ向かい、順番を逃さぬよう受付で確認し、張り詰めた気持ちで番号札を見張る。
それが、いつもの私だった。
へとへとで、でも必死で。
今までと今日が違うのは
自分の好きに忠実な車を買ってみたら?って言われて、一念発起して
15年乗った軽自動車に別れを告げ、新車を手に入れたばかりだったって事だ。
シートの感触、走り心地、静かな密室感。
それが、あまりにも“私”にぴったりで、
この世にこんなに安心できる場所が他にあるだろうか、と思ってしまって
もう、今日はこのまま、病院のあのルーティンをやりたくなかった。
私はスタバへ向かった。少し遠くたって、いい。
好きな飲み物くらい飲んでもいいじゃん。
母の受診にはどうせ4時間かかる。待合には、大勢いる中に手助けしてくれる人もいるだろう。何とかなる。
「きっと誰かが母を助けてくれる」
初めて、そんなふうに考えた。
そして――私は、自分を選んだ。
「太ったから、今日はフラペチーノやめよう」と思っていたのに、スタバのメニューを眺めながら、
「やっぱ飲みたいものをのむべきじゃん」と思い直して、「ダークモカチップフラペチーノ」をオーダーして、
ついでに、「はちみつかけてください」ってお願いした。
いいんだ。
もう今朝だけで、私は十分頑張ったんだから。
「何周かけますか?」「じゃあ、2周で!」
そのやりとりが、なんだか嬉しくて。
レジに進むと、CarPlayに繋がっていたスマホから母の声が大音量で流れ出す。
店員さんの接客の声と重なって、まるでコントのようだった。
「スターバックスカードの残高が足りません」
えええええ!焦るかと思った。でも焦らなかった。
「チャージしていいですか?」と穏やかに訊いて、数秒待ってもらう。
電話は、あとでかけ直せばいいや。
スタバの支払いを終えてすぐに折り返したけど、母は出なかった。
まあ、いい。
いつものことだし。
今日は、母と周囲のサポートに任せたんだ。
少し経って、母から「診察終わったから、会計するね」と電話があった。
良かったことなのに、なぜか悲しい気持ちになった。
なんでだろ?
できない事ができるようになったわけじゃない。
その言葉が意味する事は、ほんとうは母は全部できるってことだ。
そうやっていつも、できる事を娘にやらせて、心を安定させている人なんだ。
今日の母は、娘にやらせるのに失敗したというだけだ。
だから、次はまた、無意識に「できない」って言いだすんだろう。
そんな想像が、勝手に自分を傷つけるんだという思考が頭をよぎった。
けれど、今、気分は、いいんだ。
そういう思考をする自分だけど、それが事実かどうかは関係なく、いい気分なんだ。
フラペチーノを手に、車を走らせる。
次にやらなければならない事を考えなくてよくなって、頭がフリーになった感じがした。
ふと、中学の頃のテニス部の顧問に声をかけてもらってたのを思い出した。
「お前らの代は“神”だったって、後輩がいまだに言ってるよ。たまにはテニスやろうぜ」
そういえば――
「元気出させてあげよう」と言う気持ちから来るメッセージなのに、
今思い出したら……イラッとした。
なんでだろ?
部活は、成果はあった。
だけれど、私にとっては、そんなにいい思い出じゃないんだ。
練習が辛かったからってわけじゃない。
部内の、いろんなことに悩んでたんだ。
思えば、子供らしい悩みもあるし、子供では重すぎる問題も抱えていたんだ。
何度か母に「テニスをやめたい」と伝えたけど、
「そんなふうに考えるな、負けたらダメだ」と突き放された。
悩みの解決方法が、試合に勝つことになってしまった。
更に難易度が上がった。
悩む→負け
負けはダメ→勝つしかない
負けも許されなくて、苦しかった。
先生は「知らないくせに」と、思うと怒りが湧いてきて、
ふと、あの頃の気分が蘇る。
辛かったね、
思えばあの頃、自分だってまだまだ子供だった。
一考えつく事は試してみていていた。
嫌な事は嫌だと言ってみたりしたけど、解決しなかった。
がんばっていたあの状態の自分に、今の自分なら、何て言ってあげるかな…。
「部活を辞めたってよかったんだよ。」ってところかな。
「でも…。」
でも?
大人になってから、言ってもらった言葉が急に思い浮かんだ。
「仕事が全部イヤだったわけじゃないでしょ?」
なんで急に、仕事の事を思い出したんだろう?
ああ、そうか。
部活を辞めたいと、仕事を辞めたいは、同じような構造なんだろう。
確かに、サーブは、好きだった。
コートに置いてある缶に、ボールが命中したときの、あの快感。
私は、私の意志で、ちゃんと狙った場所にボールを打っていた。
それは「やりたいこと」だろう。
やりたいことは、確かにあったんだ。
部活の全部がやりたくなくてたまらなかったわけじゃない。
じゃあ、今の仕事だって、もしかしたらそうかもしれない。
全部がダメなんじゃない。
改善できないところばかりに目を向けて、そこを最優先に解決しようとしてたから、
何もかもが“無理ゲー”になっていただけかもしれない。
ひとつひとつの行動が悪いんじゃない。
一番いけないのは“心の確認”なしに機械のように動くからなんだ。
だからゲームが苦しくなる。
言葉ひとつで、景色は変わる。
半年くらい前に、アートワークショップというものを受けたんだった。
子供の頃にアプローチするような内容だった。
「小さい頃の自分に何をあげたい?」という問いに、私は“ホールケーキ”を描いた。
気持ちが突き動かされたような気がしたから、その後、何回かケーキを食べてみた。
だけど、そんなに感動はなかった。
なんでだろ?
そうだ。安易にケーキを正解にしてしまってたんだ。
あのときは、ケーキだったんだろう。
でも、今は――フラペチーノなんだね。
あはは。
そりゃそうか。
いつもケーキが食べたいなんて、そうだよな、バカにしてるよな。
ウケるーーー
そう気づいたとき、涙が止まらなくなった。
ケーキじゃない。
今、私が欲しかったのは、まず、ちゃんと聞いてもらうことだろう。
勝手にプレゼントを決めないでほしい。
そうだよ。
これが欲しいって言ったら、それを用意してほしい。
その代わりにこれ、っていうんじゃなくて。
涙で視界がにじみ、運転できなくなりそうになる。
ほら、また、泣いたりするから危ないじゃない!って頭に過る。
でも、大丈夫。
私は車線アシストに切り替える。
車は、私をサポートしてくれる。
この車は、黙ってアシストしくれた。
私の味方になってくれていた。
つまり、あたしがあたしをアシストできるようにしてあげたんだ。
急に私は、自分への信頼を回復している感じがした。
私は、自分の欲しいものややりたいことを、
「無駄だ」と言われてきた。
母に。夫に。社会に。
そして自分自身にも、いつしかそう言い聞かせるようになった。
だから私は、やりたいことを「やりたくないこと」として処理してきた。
誰かの希望を叶える人間になることで、自分のセンスも封印してきた。
でも、ほんとうは――
私は、感じたかった。選びたかった。
私のために。私の人生を、私のままで、生きたかった。
「直感」とか「感性」とか言われても、
長らくそれが何なのか、よくわからなかった。
私の中の“直感”はたぶん、
「それ、間違ってるぞ。怖いぞ」っていう警報にすり替わっていた。
「やりたい」は、「やっちゃダメ」の合図にすり替えられていた。
だから私は、今日まで、ずっと躊躇していた。
ただ、フラペチーノが飲みたかっただけのことなのに、やれ血糖値が上がるだの、肥満で病気になるだの、いちいち自分のやりたい事に文句を言ってきた。
そして、私の仕事は、コミュニティカフェの運営なのだ。職場がカフェなのに、スタバに行くのを「無駄なこと」としてしまっていた。
店で飲めばいいじゃん、と。
昨日、熱中症になったのも、洗車をしたからだ。
少しだけのつもりが、楽しくなってホイールまで磨いたせいだ。
そして文句を言っていた「洗わなきゃよかったでしょ?」って。
でも、違う。
私は、やりたくて、やったんだ。
それで、よかったじゃないか。
ようやく、今日、少しだけわかった。
私をややこしくしていたのは、
「誰かの期待」という名の、心のプログラムだった。
これからは、自分に訊かなきゃいけない。
何が欲しい?何が楽しい?今、これ、よくないですか?
ああ、そういえば
「これ、すごく良くないですか?」――
職場である、自分の店のスタッフが、いつも私にそう言ってくれる。
この言葉は大事なんだ。
良くなければ、良くないと言えばいい。
答えがどちらでも、大丈夫だから、気軽に聞いてくる。
そういう雰囲気が作れてる。
いい場所を作ってるじゃないか!
自己満かもしれないけど、それでいいじゃない。
ひとまず満足しよう。
休みをもらっての通院だったけれど、すんなり進んで時間ができたからなんとなく、その日はそのまま、職場である店に顔を出した。
駐車場で、車から降りたら、店内が見えて、中にいるスタッフのシルエットが見える。
救助隊を待つみたいに手を振って、満面の笑みで、スタッフが笑っているのがわかった。
店内に入るとスタッフが話しはじめる。
「よかったー!今日、聞いてほしいことがあって!見てくださいこれ!」
パソコンの画像を早く見せたくて、急かしてくる。
「これ、すごく良くないですか?!」
あー、また言ってる。
ああ、そっか。
ここは、私が自分らしくなれる場所だ。
今度こそ、私はそんな場所を作れているかもしれない。
そう思ったとき、
私は、人生に、たぶんはじめて――期待できそうな気がしたんだ。
こんなに長く、カフェをやり続けて、会員も一万人も集めたけど、一度も感じられなかったワクワク感をたった今、感じられたんだ。