自分の機嫌は、自分でとる。
そんな言葉を耳にすることが何度かあり、少し難しうなと思ったので気になってしまっていた。

これって「機嫌を押し付けない」と「機嫌を自分で上げる」という、似ているようで全く違う解釈に分けられる。この二つが、全く違う種類のものだと感じている。

機嫌を押し付けないというのは常識的に考えても「自分の不機嫌を人にぶつけないこと」ということだろうし、できるようになると言うより、するなというニュアンス。

ってことはこの言葉が出た時に言いたい事は「自分で機嫌を上げること」これの重要性を指しているのだろうか?

けれども、使われるのはむしろ「機嫌を押し付けてくる」人に対して「不機嫌をぶつけるな」というニュアンスで使われているように思う。

「自分の機嫌を相手に押し付けない」ということについて。

これは、不機嫌をそのまま外に出さないということでもあるし、
「なんでわかってくれないの?」と相手に解消を求めないことでもある。

言い換えると、他人を自分の調整装置にしない、ということだ。

この感覚があると、人間関係はかなり楽になる。
少なくとも、誰かの機嫌に振り回されることは減っていく。

ただ、ここでひとつ問題がある。

押し付けないだけでは、自分の機嫌は良くならない。

不機嫌を外に出さないようにしているだけだと、それはただ内側に溜まっていくだけになる。

一方で、「自分の機嫌をちゃんととる」ってことについて。

これは、自分の状態を自分で整えるということだ。

たとえば、少し気分が上がるものを選ぶ。
好きな音楽を流す。
お気に入りのペンでメモを取る。

そういう小さな選択を積み重ねて、自分の状態をいい方向に動かしていく。

これは「不機嫌を出さない」という話ではなく、「いい状態をつくる」という、まったく別の行為だ。

この二つは、構造としても逆を向いている。

「押し付けない」は、マイナスを広げないためのブレーキ。
「機嫌をとる」は、プラスを生み出すためのアクセル。

どちらか一方だけでは、うまくいかない。

押し付けないだけの人は、本人が静かに消耗していく。
機嫌をとることはできても、それを周りに求めてしまう人は、少し扱いづらくて、周囲が消耗していく。

だからたぶん、この二つはセットで身につける必要がある。

 

自分の機嫌を人に預けないこと。
そして、自分の機嫌を自分でつくれること。

この両方が揃ったとき、人はかなり自由になる。

誰かに振り回されることも減るし、
かといって誰かを振り回すこともなくなる。


「機嫌を押し付けない」は、境界線の話だ。
「機嫌をとる」は、設計の話だ。

似ているようで、まったく違う技術。

そしてどちらも、自分の機嫌を扱うためには欠かせないものなのだと思う。

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