これは、支配欲でも承認欲求でもない。
イメージするとしたら構造的な話で、

私は変化の瞬間を見抜ける感覚がある
混線がほどける「臨界点」がわかる
人の内側の動きにチューニングできる

そういう 才能・資質 はある。

それを「気持ちいい」と感じないなら
今考えている事業を始めようと思わないし、続けられない。

だから
「快感を感じる=危険」ではない
ただ、
「無自覚なまま使う=危険」
ここが分かれ目だと理解した。

私はすごくたくさんの事故を起こしてきたと自覚している。

今まで起きていたのは

相手がほどける
私が深く関与する
感謝される
でも責任・余韻・消耗が残る

相手は次の場へ行く
私は置き去り

このとき何が起きていたかというと、
「人を解放させる」という能力発揮による
幸福感、快楽、快感の回路が
「自己犠牲」と直結する

つまり、
人が解放される
= 私が背負う
= 私が消耗する
という構造。
ここが危険だった。

そして、これは私だけでなく、わりと多くの人が
陥っている状態のことでこれを繰り返すことで孤立する

また、コミュニティでそれが機能していた場合
その人が離れれば、その後釜として
黒子の役回りを期待される人材が発生する。

能力の問題ではなかった。
回路の問題だった。

だから私は今、
解放を生む前に、
背負わない構造を先に設計することにした。

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