一度、無料カフェで考えている事などを思いついたものを、つらつらと書き出してみた。
「自分らしいこと」という曖昧な言葉
私は「自分らしいこと」という言葉が、実はあまり好きではない。
理由は簡単で、とても曖昧だから。
でもその曖昧さに、人が反応して集まってくるのも事実だった。
人はよく「自分らしいことをやりたい」って言うけど実際には、それが何か分かっていない人がほとんどだった。
だから多くの人はやりたい事ではなくて、問いを持って来ていた。
それは「自分らしいことって何だろう?」という問いだった。
自分らしい事をやりたい人たち
さらに自分らしいことをやりたい人を観測していて分かったのは、
人は
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考えていない
-
分からない
だけではなく、言語化できないということだった。
感覚
↓
言葉にできない
↓
空白
この空白を埋めようとして、人はつい言葉を探し始める。だから言葉を渡すと喜ぶし、行動を開始できる。
でも、言葉で穴埋めすることに夢中になっても、その人の本質は違うところにあったりしてなかなか見えてこない。それどころか、全く違った場所に進んでしまい「言葉巧みに利用された」となってしまう。
だから私は思った。必要なのは
「答えを知る事」ではなく、自分を観測できる事なのではないか。
自分らしいことを探すのではなく、自分を観測する。
これを真剣に考えることに至っていた。
無料でおきる事の観測
私は10年間、無料のカフェという場で人を観測してきた。
見てきたのは例えばこんなものだ。
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共感構造
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依存構造
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権力構造
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集団の動き
-
スタッフの心理
-
環境変化への適応
こうしたものを長い時間のフィールドの中で見続けてきた。
その結果、今では共感や感情にぶん殴られても、かなり早く回復できるようになった。
人の動きが、少し構造として見えるようになったからだ。
善意の摩擦
わりと興味深かったのが「良いことをしたい」という複数の人が集まったことで衝突がおきる現象。善意の摩擦だった。
「人を救う」という行為には、ポジションが生まれる。
救う人
↓
救われる人
この瞬間に上下関係ができる。
そして人は無意識にポジションを取り始める。
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一番優しい人
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一番理解している人
-
一番献身的な人
つまり善意のピラミッド構造が生まれる。
人はコミュニティに入ると、ほぼ必ず役割を探す。
普通の社会では
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お金
-
役職
-
実績
などでポジションが決まる。
でも私のカフェは
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無料
-
金銭評価がない
-
数字評価がない
つまり、一般的な数字で高低差を比べることができず、別の指標で順位が作られる。
そこで出てくるのが善意だった。
お金がないコミュニティ
↓
善意が評価軸になる
↓
善意の競争が起きる
すると人は
「より優しい人」
「より理解している人」
というポジションを取り始める。
救う構造は、支配構造と紙一重
救いたいと思った時から、支配がはじまることが多い。もちろん悪意ではない。
でも構造として、そうなりやすい。
観測の視点に立つと
善意
悪意
ではなく構造として見える。
つまり「人が悪い」のではなく人はこう動くと分かるようになる。
それを許さないと、やがてそれぞれの正義が殴り合いをはじめる。
そこで大事だと思ったのはポジションが固定されない構造。
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救う人
-
救われる人
-
教える人
-
学ぶ人
こうした役割が固定されない場。
そのためには観測者を増やすことが必要だと思った。
観測
↓
ログ
↓
パターン
この流れをみんなが持つようになると、
善意のピラミッド構造は弱くなる。
私が作ろうとしている場
それは、普通のコミュニティとは少し違う。
普通のコミュニティは
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仲良くする
-
助け合う
でも私の構想は人間を観測する場。
その場では、テーマがない人→ 去る
テーマがある人→ 残る
10年間の観測でも、この傾向はかなりはっきりしていた。
私が作りたいのは
「助け合うコミュニティ」ではなく、
人が自分のテーマを試す場所。
普通のコミュニティの呼びかけは
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仲間を作りたい人
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安心できる場所がほしい人
-
一緒に活動したい人
でも私の場の呼びかけは「自分らしいことをやりたい人」
つまり目的型の場だ。
人は
自分らしいことをやる
↓
試す
↓
形になる
↓
次の場所に行く
だからその場から人が消えることを、私はあまり悪く捉えていない。
これは健康な流動性だと思っている。
もし「長く残ってほしい」と考えると、コミュニティは依存構造になりやすい。
ただ、懐かしいと言ってまた会いに行ける場所として、存在し続けることは大事だと思っている。
以前の失敗し続けた自分
私自身も、昔は理解し合うことを関係の条件にしていた。
理解できない
↓
なんで???
と感じてしまう。
だから人が怖かった。
でも
理解 → 観測
に変えたら人が怖くなくなった。
そして自分に集中できるようになった。
必要なのは人を理解することではなく、
人を観測することなんだろうっていう着地で安定してきたのだ。

