結論、私はみんなと感覚がズレていた。
本当はこのズレたまま一生終わる予定だったのかもしれない。

でも、たまたま、多くの人と接する無料のカフェに配置されることになったせいで、多くの人が「変わりたい」と願って何かをやってみていること、いい気分になるためにがんばること、そして同じところをぐるぐる回ったり嫌な思いをしたりして困っているんだなと知る事ができた。
そして、それらに関わるコミュニティを運営していった結果、変化のための行動に直接介入することになり、共感の前線やあらゆる構造を目の当たりにする経験を得た。

そしてもちろん自分もその間も、ズレている自分に悩み、他の人と同じことができたらいいのに。せめて同じ感覚を持てたらと悩み、ぐるぐるやっていた。

早く抜けたいと思っていた。

今はそこから抜けて清々しい気持ちになっている。
これはまさに反転がおきたような感覚だ。
このような変化なら、他の人におすすめするのもいいなと思える。

というのも、そんなに急いで抜ける必要はなかったなという感覚になったからだ。

過去の自分の苦労した部分も、今となってはとっても良かったなと思えるからだ。

反転は「頑張り」では起きない

多くの人は、人生を変える方法としてこういう言葉を聞く。

・努力する
・前向きになる
・距離をとる
・自分を大事にする

どれも間違いではない。
でも実際には、これらの言葉を何度聞いても変わらない人は多い。

なぜなら、多くの場合
最初に変わるべきなのは行動ではなく、見えている構造だから。

人は、自分が見ている世界の構造の中でしか行動できない。

たとえば家族。

「家族だから大事にしなきゃ」
「親なんだから言うことを聞かなきゃ」

こういう前提の中にいると、距離を取るという選択はそもそも浮かばない。

でも、ある瞬間に世界の見え方がひっくり返ることがある。

それを私は 反転 と呼んでいる。

反転とは、問題を解決することではない。
世界の見え方が変わること。

そして面白いことに、この反転は「努力」では起きない。

構造が見えた瞬間に起きる。

人生はときどき「村」に巻き込まれる

構造を説明するとき、私はなるべく難しい言葉を使わない。

家族、母親やその兄妹との関係の、何となく感じる身内の理解し難いモヤモヤ。

たとえば、元々は母親が理解できないくらい変だと感じるとしたら、原因は母親だけでおきていない。母親にとっての家族、つまり祖父母との関係がまだ強く影響していたりする。

例えば実は優しい行動しかしていないおばあちゃんが、今も影響力が強い、言うことは絶対として君臨している。

でもその代わり、

・お金は出してくれる
・困ったら助けてくれる
・ダメな家族をまとめてくれる

そんな構造になっていて、そこには小さな社会ができていることがある。この構造を説明するには

「その家族、村みたいな構造になってるね」とお伝えする。

おばあちゃんは村長。お母さんたちは村人。そこに関わっている叔父さん叔母さんも村に所属している。

そしてあなたも村人Aに認定されている。だから社会のルールと少し違った、村のルールを適応されている。

この話をすると、よくこう言われる。

「え、じゃあ私も村人だったんですね(笑)」

「私また、村人をやっちゃってましたねwww」

そう。

気づいた瞬間、人は自分の立場を笑えるようになる。

そしてここで大事なのは、

村が悪いわけじゃない。

村は村で、ちゃんと機能している。

依存すれば守られる。

だから

「村を出なさい」

とは言わない。

たまに帰ってもいい。
しばらく住んでもいい。

ただ、村だと知っているかどうか。

それだけで人生は大きく変わる。

反転は、笑った瞬間に起きる

人が変わる瞬間には共通していることがある。

それは笑うこと。

たとえばこんな会話。

「じゃあ私は村人Aだったんですね(笑)」

この瞬間、人は自分を外から見ている。

今までは「家族=世界」だった。

でも今は

世界→村→自分

という位置関係が見えている。

これが 反転

問題が消えるわけではない。

でも、

問題の中にいる人→問題を観察している人

に変わる。

そしてこの状態になると、自然に次の言葉が出てくる。

「じゃあ3年くらい村に戻って、うまくやるってのもいいかな」

これは逃げでも我慢でもない。

選択。

反転すると、人は自分で決められるようになる。

この感じは、依存と真逆にある。

一度反転した人は、何度でも反転できる

反転の一番面白いところはここ。

一度この視点を持つと、何度でも反転できる。

人間関係でも仕事でも家族でも。

出来事→感情→反応

ではなく、

出来事→構造→選択

になるから。

この状態になると、人は急に強くなる。怒らなくなる。焦らなくなる。

そしてよく言われる。

「なんでそんなに冷静なんですか?」

でも本人は冷静になろうとしているわけじゃない。

ただ構造が見えているだけ。

だって、人間の世界は意外と

村だったり
役割だったり
思い込みだったり

そんなもので出来ているから。

だから私は、人の人生を少し離れたところから観測している。

そして、ときどきその構造を一緒に見てみる。

するとたまに、世界がくるっと反転する。

その瞬間を見るのが、私はけっこう好きだ。

 

そして構造が見えると、人生の「なんで?」という出来事は「なんでーwww」って感じに、ユーモラスになる。

言語は変わってない。

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