世の中の「べき」や「正しさ」から、自分の価値観を見つけ出せるといいなと思うけれど、上手く言えてないのかな?また言語化が下手なのかなって思っていた。
きっと正しい伝え方があるはずだよね?と思うと、なんだよまた、正しいとか言っちゃってるな。そんな風に考えるべきじゃない、あ、また言っちゃったwwwみたいな。

こういう時、そもそも自分が、正しいという言葉の意味を理解していない。
案の定検索すると、英語では何個も正しいで検索したらtrue/right/correctっていくつかの単語がある。

「それって正しいの?」と聞かれたとき、わたしは
「え?正しい?」
「これで合ってる?」
「…間違ってないよね?」

何かを始めようとしたとき、何かを選ぼうとしたとき、気づけばいつも、この問いが頭をよぎっていた。

「正しくあろうとする」ことは、
とても大切なことのように思えるけれど──

「その“正しさ”、どの正しさ?」

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英語で見えてきた、3つの“正しさ”

言葉にしてみたら、なんだか少し見えてきた。

true:事実に即していて、実際に起きたこと。
right:道徳的・社会的・常識的に「正しい」とされること。
correct:形式や答えとして「間違っていない」こと。

たとえば、こんな感じ。

仕事で失敗して落ち込んでる人に、「そんな程度のことで落ち込むなんておかしい」と言う人がいる。
でも「私は今、落ち込んでる」と感じていることがtrue(真実)。

親の期待に沿う進路を選ぶのがright(道徳的)に思えても、本当はまったく興味が持てていない。心がついてこない。

履歴書の書き方をcorrect(正確)にしても、本人に魅力がなければ採用されない。

わたしは、trueを大事にしなかった

社会では「right(正しさ)」や「correct(正確さ)」が求められる場面が多い。
ちゃんとしていること、普通であること、間違っていないこと。
そのほうが評価されるし、会社が生き残りやすかったからだ。

でも、それだけを基準にしてしまうと、自分の「ホント」がどんどん遠ざかっていく。

泣きたいときに笑って、やりたくないことに「やりたいです」と言っいたせいで、心の中の羅針盤が、だんだん狂ってしまった。

trueは、「まなざし」から始まる

わたしにとってのtrue(真実)は、「何が正しいか」じゃなくて、
「わたしはどう感じたか、どう思ったか」から始まる。

今日、悲しかった

この色が、なんだか落ち着く

誰かの言葉に、胸がざわついた

理由はわからないけど、行きたくない場所がある

こういう感覚は、誰にも評価されない。
答え合わせもできない。
でも、それが自分のまなざしで見た“世界のかけら”だと思う。

だから、「正解」じゃなくてもいい

最近ふと思う。

正解じゃなくていい。
問いがあるだけで、生きてる感じがする。

わたしにとって大事なのは、
完璧な答えを持っていることよりも、
「私は、今こう思ってる」って言えること。

そのたびに、自分の席に心が戻ってくる感じがする。

あなたの「正しさ」は、どこから始まる?

誰かにとっては、「right」や「correct」が支えになることもある。
それも素敵なことだと思う。
でも、もし今あなたがちょっと息苦しかったり、
「これって本当にわたしの選択?」って迷っていたら──

どうか、あなた自身の“true”を忘れないでほしい。

それは小さな声かもしれないけど、
それこそが、あなたの人生のコンパスになるから。

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