〜アリストテレスもそんな感じのことを言ってるし〜

「倫理を学ぶのは、知識を得るためではなく、善く生きるためである」

アリストテレスのこの言葉に、私は少しドキッとした。そうか、倫理ってお勉強じゃないんだ。人生のなかで、自分で「どう生きるか」を選び取るためにあるのか、と。

でも実際には、「善く生きたい」と願っても、頭の中でぐるぐると考えるばかりで、なかなか一歩が出ないこともある。考えれば考えるほど身動きがとれなくなる、そんな経験はきっと誰にでもあるはず。

だから私は、「ペイント」という行為をその第一歩に選びたいと思っている。


ペイントで“まなざし”を取り戻す

色を選ぶ、筆を取る、塗ってみる。 うまくいくかなんてわからないけど、やってみる。

その小さな一連の行動は、まさに「実践」そのもの。

アリストテレスは、こうも言っている。

思慮(実践的知)は、行動する人にしか備わらない。

つまり、どれだけ頭の中で考えても、実際にやってみないと「思慮」は身につかないということ。机上の空論では、自分の“まなざし”は育たない。行動のなかでしか、自分の目の焦点は合ってこないのだ。

ペイントには、正解がない。 だからこそ、そこには「自分で決める」「自分の好みを信じる」「やってみてから考える」といった、失われがちな感覚が戻ってくる。

色の上でなら、迷ってもいい。 間違えても、塗りなおせばいい。


倫理のかわりにペンキを持つということ

アリストテレスが言う「善く生きるために倫理を学ぶ」こと。 それは現代の私たちにとって、「自分で選ぶ感覚を取り戻すこと」なのかもしれない。

でも倫理書を読むより、まずは色に触れるほうがずっとやさしい。

「私は、これが好き」 「この色で塗ってみたい」

そんな“私のまなざし”を感じることが、 善く生きるということの入口になっていくのではないか。

だから私は、倫理を学ぶように、ペンキを手に取る。

それは、私の人生における「実践知」のレッスンなのだ。


今日も、まっさらな空を塗る。 色を混ぜながら、静かに、でも確かに、生きている。

あなたにも、そんな時間がありますように。

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