今の私は、自分の感覚がある。
そう書くことに、少しだけためらいがある。
なぜなら以前の私は、
自分の感覚だと思っていたものが、
実は母に依存していたのではないかと感じているから。
正直に言えば、
50歳を過ぎるまで、その自覚はなかった。
何かが減っていった
「周波数」という言葉で説明する人もいるけれど、正直私はその感覚はよくわかりません。
ただ、事実として起きたことがあって...
同居していた母が意識不明になって一通りの手続きを終えたとき、
私を内側から突き動かしていた何かが、すっと減った感覚があった。
この時は、家で常に見ているという緊張感からの解放だと考えていた。
母が息をしなくなったとき、
さらに静まりを感じた。
骨になったとき、
揺れはもっと小さくなりました。
外側の出来事と、内側の反応が、段階的に連動していたように感じています。
反応していたのは、誰の振動だったのか
私がずっと反応していたのは、母という存在そのものだったのか。
それとも、母と私のあいだに生まれていた何かだったのか。
正直なところ、それはまだわかりません。
けれどひとつだけ確かなことがある。
あれほど搔きむしられるようだった心が、今は穏やかになっているということ。
8歳の頃の感覚
不思議なことに、
今の感覚は、8歳の頃の感覚に似ている。
誰かに合わせる前の、まだ説明を持たなかった頃の感覚。
それが、やっと戻ってきたような気がしている。
この着地は、どんな構造なのだろう
長いあいだ私は、自分の感覚だと思っていたものを頼りに生きてきた。
けれどそれが、
誰かとの共鳴の上に成り立っていたものだったとしたら。
その共鳴が消えたとき、
初めて“素の振動”が残る。
今起きているのは、
そういう構造なのかもしれないと、
静かに観察していて。
まだ答えはありません。
ただ、今は確かに、揺れが少ない。
それだけは、はっきりしている。

